瞬きを100回、休まずに続けてやってみてください。
凄く面倒ですよね?
その瞬き1回が、1km歩く事だとして
100回が100キロです。
・・・あれ?
「デジャヴかな」と思った方、原因はコチラ↓
■本庄〜早稲田100キロハイク
・埼玉県本庄市(ほぼ群馬)から早稲田大隈講堂まで100キロを2日間で歩く
・実際は125キロだが、25キロは誤差らしい。そんな誤差いらない。
・こんな馬鹿らしいこと〜(40キロハイクと同じ理由により)仮装する
・1,000人以上の百鬼夜行。女子がいる分仮装は健全(熊谷高校比)
仮装レベルは高い。
そして、こんな素晴らしい企画を主催するのは・・
■早稲田精神高揚会
怪しい名前だけど、活動内容は・・
・1956年(昭和31年)の創立の早稲田精神を高揚させる団体
・学ラン、角帽、高下駄をまとい、腰に手拭ブラ下げて、日本全国闊歩する
(男だけで10泊11日、各自米30合を背負い、食費は1人当たり1日100円)
・クリスマスに独り身の会員だけで開催される富士の樹海パーティー
怪しい団体で間違いないです!
■参加資格
ちなみに、このイベントの参加可能人数は1,000人まで。(当時)
早大マゾに大人気で、チケット(5,000円ぐらい)を取るために長蛇の列。
かなりの倍率を勝ち抜き、チケットを取得するためには、大隈講堂オールか徹夜麻雀をして、始発電車が動く前から並ぶのが絶対条件!
(=体感では嵐のチケット取得と同じくらいの難易度。嵐のチケット取ったことないけど。)
私は4年間で3回参加出来ました。
参加できなかった1回は、
チケット取得を後輩に任せた所、
後輩がオールせず、始発で挑むという愚行を犯し、チケット取得失敗
チケット取得競争の前に、
「屋根の下で睡眠を取る」
なんて甘い考えのヤツには、
挑戦権さえ得られない。
早稲田精神の高揚は、チケット取得から試されている。
ちなみに、早稲田精神が足りなかったその後輩(多分W田だったと思う)は違う方法(酒)で早稲田精神を高揚させてあげました。
(ちゃんと次の年はオールしてリベンジしてました)
■本番の持ち物の中に
無事チケットを取得できた参加者へ配られるパンフレット。
その中の当日の持ち物欄の中には、
5本指ソックス(2重)や湿布、絆創膏、レインコート、寝袋・・などに混じって、
「マメを潰すための安全ピン」
「潰したマメに塗る消毒液」
と記載があります。
・・・・・
これって親切なの?
そもそもマメが出来るのが前提っておかしいよね?
もう親切なのかどうか、よく分からない。
少なくとも「ハイク」なんて楽しい名前のイベントの持ち物じゃない。
《実際の様子》
■1区
本庄アピタ→寄居町総合体育館
集合場所兼スタート地点
みんな集まりワイワイ
有り余るエネルギー
コスプレ撮影会
当時はそのまんま東も参加(ゼッケンナンバー「そのまんま」)
ちなみに、アシモの中の人は重かったのか1区の途中で脱皮、
その後、100キロ以上殻を運んでいた。
それも凄い。
全然余裕なハイキング気分。
地元である寄居町にはしゃぐ。
仲間から「田舎すぎる」という精神攻撃を受けるが、そんな攻撃は高校時代から受け続け、耐性が出来ているためノーダメージ。
まだまだ体力ゲージも満タン近く、20台前半男子は全く疲れない。
爽快に歩く。
■2区
寄居町→越生
田舎の寄居町の中でも、さらにコアな本当の地元男衾(森)を通り、隣町の小川町へ
久しぶりに同級生の家の前を通ると、Aライ達と再会。
「こんな形で再会するなんて、懐かしいねー!」と寄り道。
明らかに同級生ではなく、不審者を見る目だが、これも慣れているためノーダメージ。でも少しずつ大事な何かを失っている気がする。
東武東上線の(仮)終点駅「小川町」
ここで東上線に乗れば、1.5時間で大都会池袋へ戻れる。
ここを逃すと、まともな交通機関はなく、リタイアするのも大変になる。
まだまだ元気なため、リタイアという文字は完全に忘れている。
2区のゴール越生に向かうために・・
地元民でも小川から越生なんて行ったことがない。
幻の八高線ルート
初めての道を、車でも電車でもなく、歩いて挑む。
午前10時に出発し、既に18時。
暗くなってくる。
スタートから8時間歩き続けて
20台前半の体力バカでも流石に疲れてくる・・
そして、こんなに長時間歩いたのに、
「まだ全体の1/3しか進んでいない」
という驚愕の事実。
「これって、やばくない?」
参加者が徐々に気付き始める。
そして、そう思った頃には、もう手遅れ。
リタイヤする道は絶たれ、暗い森に囲まれた道を
ひたすら行軍するしか選択肢はなくなる。
そう、ここで初めて、
真の100キロハイク(地獄)がスタートする。
途中のコンビニ休憩。
参加者の顔から笑みは完全に消える。
8時頃2区のゴールにつき、夕食を取り、しばし休憩をした後、
3区ナイトハイクが始まる。
■3区 越生→狭山:東京家政大
ナイトハイクスタート
ここまで来ると、リタイアする人が出始める。
10時にスタートして、既に12時間以上歩き続けている。
普通に生活していたらこんな極限状況はないので、リタイアも当然といえば当然。
ブラック企業でも、12時間立ちっぱなし、歩きっぱなしは流石にない。
参加者のペースに差が出始め、精神的に追い詰められる頃。
体力がある人もきつくなってきて、体力がない人にかまってられない。
そして、これだけ疲労困憊で身体はボロボロ、
気力も限界なのに、
まだ半分も進んでいない。という事実に気付いてしまい、精神に大ダメージを追う
「全体でどのくらい進んだか」を
考えたら心が死ぬ。
考えずに、ひたすら無心で歩く。
暗闇の中をひたすら
歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く・・・
深夜12時を過ぎた頃、暗闇の森の中で明かりが見える。
「コンビニ?」
「居酒屋?」
「なんでもいいから少しでも休みたい!!」
と、かすかな希望も
ホテル「あそこ」に騙される。
(そのまんま東もキレてた)
もうそこでいいから休みたい。
そんなトラップにより勝手に精神にもダメージを負いながらも、
歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く・・・
そして、午前3時過ぎ、宿泊場所にゴール
スタートから17時間。
17時間歩きっぱなし。
17時間「労働」させる極度のブラック会社があったとしても、ここまで劣悪ではないはず。
何よりブラックでもなんでも対価としてお金は必ずもらえる。
お金を払って何をやっているのだろう。
この状況は、社会に出てどんなブラック会社に入っても、耐えられるようになる社会人修行か。
そうか、これが早稲田精神か。
長かった1日目がやっと終わるが、
明日、この状態から同じ距離を歩くと考えると
「このまま明日がこなければ・・」と思う。
日曜日のサザエさん症候群を
1,000倍ぐらいにしたブルーな気持ち
■4区 狭山→所沢:早稲田所沢キャンパス
極度の疲れと、3密どころではない密集状態でなかなか寝付けず、
ようやくウトウトし始めた頃、
「起床ーーーー!!!!!!!!!!」
という精神高揚会の叫び声(奇声)と、
バケツをガンガン叩く強烈な音で強制的に現実に戻される。
夢から現実に引き戻されて、感じた感情は1つ
「殺意」
極限状態で自分の生命維持のための行為(睡眠)を理不尽に脅かされた時、
人って本当に殺意を持つんだな、
と気付かされる。
ボロボロで重い体を、なんとか起こす。
無駄な動作を一切行いたくない。
猛烈に眠い。
何も考えられない。
言われるままに準備して、
言われるままに歩き始める。
歯向かう気力もない。
操られているゾンビと何が違うのか?
1晩寝ても 数時間横になっても体力はほとんど回復せず。
ドラクエで言うと、HPが黄色とオレンジの間。
スライムに出会っても選択を間違ったら死ぬ。
そんな中でも、早稲田所沢キャンパスにつく頃には、眠気がなくなってくる。
そして、睡魔がなくなると、体力も少しだけ回復。
配給のおしることパンも栄養に代わっていくのが分かる。(気がする)
■5区 所沢キャンパス→東京:早稲田高等学院
少しの休憩で体力回復し、
体力ゲージ黄色から白に回復するのも束の間、
5区をスタートして広大な所沢キャンパスから出る頃には
もう体力ゲージが白(通常)→黄色→オレンジ色へ
一瞬体力回復したとしても、すぐになくなる。
ドラクエの毒沼のようで、一歩一歩進むたびに確実にダメージが蓄積する。
通常状態なら、気持ちの良いハイキング程度のアップダウンが、巨大な壁のように感じる。
狭山湖の絶景に一瞬だけ癒やされる。
そして、そこから新青梅街道という永遠と続く恐怖の直線
いくら歩いても何も変わらない。
歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いても変化がない10kmの道。
体の機能をオートモードにして、意識を切って歩き続ける。
何故自動で歩けるのか不思議だが、考えない。
「疲れた」とか「痛い」とか「まだか」とか、
もう人としての感性は邪魔でしかない。
2日目も日が暮れて来る頃、
ようやく5区のゴールへ。
いつの間にか東京入り。
■6区 早稲田大学高等学院→大隈講堂
いよいよ最後の区間。
ここまで来ると、
「最後の区間だ・・!!」
「やっと東京に入った・・!!」
「見覚えがある西武新宿線だ・・!!」
→もうすぐゴールだ!!!!
という
「罠」に全員勝手にハマる。
冷静に考えられれば、今の最寄駅は上石神井。
「上石神井から高田馬場・早稲田まで何駅だよ?」
「しかもそれを歩いていくって●●じゃない?」
と、通常時ならツッコむべき状況。
ただ、埼玉の奥地から歩いてきた難民達
(もう人としての機能を切っている物体)には、
そんな思考さえも出来ない。
極限状態では、
不都合な事実を、
都合のよい希望に変えないと
動けなくなる。
でも、いくら思考を都合よく改ざんしても、
事実が変わるわけではない。
圧倒的な距離が縮まるわけではない。
1歩1歩歩くしかないが、1歩がつらい。
暗い中、歩き続ける。
もう誰も喋らない。
頭の中はマイナスの言葉と感情で埋め尽くされる。
コンビニを見つけても、
回復アイテム(リポD・湿布)は使いすぎて見たくもない。
休んでも、もう体力は回復しないことを知っている。
歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて・・
そしてついに・・見覚えのある馬場の街!!
普段の100倍辛い馬場歩きを経て、
暗闇に浮かび上がる大隈講堂!!!!
ゴールの瞬間!!!!
■ゴール!!!!
この時の気持ちは、「達成感」という薄っぺらい言葉では
とても言い表せない。
プロである朝井リョウ氏の「時をかけるゆとり」より
その時の感情を抜粋すると、
私は閉会式で泣いた。決して「体じゅうが痛くて嬉しい」というマゾヒズムの結晶としての涙ではない。同じく125キロを歩ききった人たちがこんなにもいる。ずぶ濡れで、もう立てないくらいに脚が痛い人たちがこんなにもいるのだ。それ自体が尊かった。涙が出た。あのときは無条件に、私達の未来は明るいと思った。そんなことを思っていしまうほどのパワーがそこには溢れていた。私の心にも、熱い熱い思いが溢れ返ってくる。
本当に、本当に、本当に、本当に、人生諦めなければ何だって出来るのだ。
だけど明日は何もできない。
朝井リョウ「時をかけるゆとり」
・・・本当にその通りだった。
そして、「明日」どころか、
「目標達成したこの瞬間」からもう何もできない。
それはつまり、
「家に帰る力もない。」
体力使い果たして、「家に帰る」という
人間として最低限の行為・常識に使う力さえも残っていない。
馬場駅までの馬場歩きどころか、早稲田駅までも歩けない。
というより、この脚では終電には絶対間に合わないし、
間に合ったとしても、睡魔に打ち勝って電車の乗り換えがうまく出来る気がしない。
体力が幼稚園児以下のレベルにまで落ち、
都会の交通網に対応できなくなっている。
大都会で遭難するより、仲間とこのまま
大隈講堂で講堂飲み&野宿をすることにする。
いつもは大隈講堂でオールしようとすると注意しに来る守衛さんも、
この日は大目に見てくれているよう。
というか、注意されても動けない。
そして翌日、家に無事帰り、
3日間授業を休んだ。
■そして・・
こんなつらい思いをして、
「もう絶対こんなバカな事やらない!!」と誓うも、
次の年になると何故かまた参加したくなる。
あの極限状態をもう一度、
みんなに味わってほしい。
みんなで味わいたい。みんなが苦しんでいる所を見たい。
みんなで苦しみを乗り越えたい。
私の本心を見透かしてか、
一度参加した仲間は、どんなに誘っても
二度と参加しなかった。
同時に、内情をよく知っている付属高校出身者も絶対参加しなかった。
(何だかんだでやっぱり賢いな・・)
仕方ないので、毎回後輩たち騙して 勧誘して
毎回新メンバーで参加する。
(「達成感」とか、「100キロ歩いた後のビールはうまいよ」とか騙す)
【ここまでのまとめ】
■100キロ歩いても、達成感なんてない。
(極限状態を何百回も超えると感情がなくなる)
■100キロ歩くくらいで、本当の自分なんて見つからない。
(でもブラック企業ではやっていける耐性は身につく。危険)
■辛い時は、ほかの人が苦しんでいるのを見てエネルギーにし
みんなで苦しみを乗り越える!!!